加藤清正の生い立ちから子孫まで

加藤清正の人物像

加藤清正(かとう・きよまさ)は、豊臣秀吉の親戚といわれ、現在の名古屋市中村区の出身で、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将です。肥後国熊本藩初代藩主となっています。 ここでは、その生い立ちや人物像などを簡単にご紹介します。

加藤清正の代表的活躍と経歴

豊臣秀吉の子飼いの家臣で
「賤ヶ岳の七本槍」の一人といわれました。

賤ヶ岳の合戦後も各地を転戦して武功を挙げ、豊臣秀吉から肥後北半国を与えられています。

秀吉没後は徳川家康の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって肥後国一国を与えられ、熊本藩主となりました。明治43年(1910年)には従三位を追贈されています。

また、築城の名手ともいわれ。名古屋城の建設や熊本城などを手掛けています。

熊本城主としては、住民が困っていた治水などにも才覚を発揮するなどして、名君とうたわれ、今日なお熊本県民に慕われています。

注)賤ヶ岳の七本槍・・・天正11年(1583年)近江国伊香郡(現、滋賀県長浜市)の賤ヶ岳附近で行われた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と柴田勝家との戦いを賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)といいます。 一般的には、その際に功名を上げた福島正則(1561年 - 1624年)、 加藤清正(1562年 - 1611年)、加藤嘉明(1563年 - 1631年)、脇坂安治(1554年 - 1626年)、平野長泰(1559年 - 1628年)、糟屋武則(1562年 - 1607年)、片桐且元(1556年 - 1615年)をいいます。

加藤清正の系図

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清正公

 「清正公(せいしょうこ)」とは、戦国時代の武将 加藤清正が神格化されてお祀りされたものです。

 加藤清正の死後に武将の誉れ高かった清正公の力にあやかって「武運長久」「治病息災」などをお願いするようになったのが始まりです。

 今日なお、子供の成長をお祈りしたり、治病息災など、所願成就の神様として信仰されています。

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